忍者ブログ
したいほうだい    フログがただ静かに朔太郎を読むブログ                 
| Admin | Write | Comment |
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 自分はこの書物の価値について、自ら全く知っていない。意外にこの書は、つまらないものであるか知れない。あるいはまた、意外に面白いものであるか知れない。そうした読者の批判は別として、自分は少なくともこの書物で、過去に発表した断片的の多くの詩論――雑誌その他の刊行物に載る――を、殆ど完全に統一した。それらの詩論は、たいてい自分の思想の一部を、体系から切断して示したもので、多くは暗示的であったり、結論が無かったりした為に、しばしば読者から反問されたり、意外の誤解を招いたりした。(特に自由詩論に関するものは、多くの人から誤解された。)自分はこれ等の人に対し、一々答解することのはんを避けた。なぜなら本書の出版が、一切を完全に果すことを信じたからだ。この書物に於てのみ、読者は完全に著者を知り、過去の詩論が隠しておいた一つの「かぎ」が、実に何であったかを気附くであろう。
 日本に於ては、実に永い時日の間、詩が文壇から迫害されていた。それは恐らく、我が国に於ける切支丹キリシタンの迫害史が、世界に類なきものであったように、全く外国に珍らしい歴史であった。(確かに吾人ごじんは詩という言語の響の中に、日本の文壇思潮と相容れない、切支丹的邪宗門のにおいを感ずる。)単に詩壇が詩壇として軽蔑けいべつされているのではない。何よりも本質的なる、詩的精神そのものが冒涜ぼうとくされ、一切の意味で「詩」という言葉が、不潔につばきかけられているのである。我々は単に、空想、情熱、主観等の語を言うだけでも、その詩的のゆえ嘲笑ちょうしょうされ、文壇的人非人にんぴにんとして擯斥ひんせきされた。
 こうした事態の下に於て、いかに詩人が圧屈され、卑怯ひきょうおどおどした人物にまで、ねじけて成長せねばならないだろうか。丁度あの切支丹が、彼等のマリア観音を壁に隠して、秘密に信仰をつづけたように、我々のしいたげられた詩人たちも、同じくその芸術を守るために、秘密な信仰をつづけねばならなかった。そして詩的精神は隠蔽いんぺいされ、感情は押しつぶされ、詩は全く健全な発育を見ることができなかった。「こうした暗澹あんたんたる事態の下に」自分は幾度か懐疑した。「詩はまさほろびつつあるのではないか?」と。それほど一般の現状が、ひどく絶望的なものに見えた。
 けれども今や、詩を求めようとする思潮のなみが、新しい文学から起ってきた。すべての新興文学の精神は、すくなくとも本質に於ける詩を叫んでいる。おそらくは彼等によって、文学の風見かざみが変るだろう。そして我々のあまりに鎖国的な、あまりに島国的な文壇思潮が、もっと大陸的な世界線の上に出てくるだろう。実に自分は長い間、日本の文壇を仇敵視きゅうてきしし、それの憎悪ぞうおによって一貫して来た。あらゆる詩人的な文学者は――小説家でも思想家でも――日本に於ては不遇であった。のみならず彼等の多くは、自殺や狂気にさえ導かれた。――正義は復讐ふくしゅうされねばならない。
PR
この記事にコメントする
NAME:
TITLE:
MAIL:
URL:
COMMENT:
PASS: Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする
≪ Back  │HOME│  Next ≫

[10] [9] [8] [7] [6] [5] [4] [3] [2] [1]

Copyright c 詩態放題 [管理フログ]。。All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog / Material By 深黒 / Template by カキゴオリ☆
忍者ブログ [PR]