かく結論してくれば、吾人もまた一個の民衆主義者になってしまう。だが誤解する
勿れ、著者は民衆に
諂らうところの民衆主義者でなく、逆に彼等を
罵倒し、軽蔑するところの民衆主義者だ。なぜなら民衆は、彼等を甘やかすことによって
益々堕落し、
鞭撻することによって向上してくるからだ。
吾人が今日の社会に望むものは、民衆と同じ側に立って演説する人――彼等はあまりに多すぎる――でなくして、むしろ彼等に対抗し、反対の側に立っていながら、しかも根柢の足場に於て、民衆と同じ詩的精神の線上に立っているところの、一の毅然たる風貌を有する人物である。
* 最近、日本に現れた「大衆文学」というものは、どんな芸術的主張をもつのか解らないが、とにかく現文壇への解毒剤として、一つの公開さるべき処方である。医師は救いがたい病気に対して、時に毒薬をすら調合する。
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