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 所謂いわゆる「*大衆芸術」と称するものがこれによってまた民衆の間に喝采かっさいされている。文学ばかりでなく、演芸に、活動写真に、到るところの世界に於て、吾人はこの種の芸術を発見する。それは一つの、民衆を「悦ばすため」の、娯楽としての芸術である。だが彼等の目的から、何をしているだろうか。それはあらゆる最高の手段に於て、民衆の倫理感をあおり立てる。恋が破れ、貞操が失われ、血が流れ、義人が殺され、善人が迫害される。でなかったらばあらゆるロマンチックの冒険と怪奇によって、宗教感のセンチメントを高調させる。しかもこの感激的高調にかかわらず、すべての出来るだけの無内容と、できるだけの愚劣な馬鹿馬鹿しさとで、民衆の甘ったるい理解力に訴えるべく、用意を十分に備えている。
 たれでも我々は、こういう芸術を軽蔑する。ところが民衆には、これがいちばん悦ばれるのだ。なぜなら民衆は、永遠に稚気芬々たる子供であって、真の高いもの、美しいものを理解できないから。しかも彼等は、常にかわくように詩を求めている。どこにでも、ただ詩が――詩的な感激が――有りさえすれば好いのであるたとえば彼等は、丁度腹のいた子供に似ている。何でも好い。詩でありさえすれば食おうとする。しかもまだ不幸なことに、彼等の味覚は低劣であり、胃袋は駄菓子によって傷害されている。民衆は一のいじらしく、純良なる、しかしながらあわれむべき貧民の子供である。
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