第九章 詩の本質
今や
吾人は、始めて本書が標題する実の題目、詩とは何ぞや? の解説に
這入ってきた。詩とは何だろうか。
形式についてではなし、内容について言われる詩とは何だろうか? 吾人はこれに対する解答を、どこか前に他の章で暗示したようにも思われるし、また未だしなかったようにも考えられる。とにかく
何れにせよ、この章に於て決定的な解答をしてしまおう。
そもそも詩とは何だろうか。広い意味に於て、自然や人生の到るところに観念されてる、一種不思議な「詩」という言葉は何だろうか。吾人はあえてそれを
不思議と言う。なぜならこの言葉は、常に多くの人々によって使用され、到るところに
思惟されているにかかわらず、一も判然とした定義がなく、どこか正体が不明であり、
捉えどころのない
靄の中で、
曖昧漠然としているからである。吾人はこの不思議を解明して、
詩の本質する定義を確立せねばならないのだ。
第一に解ってることは、この意味の詩が形式上の詩でなくして、詩という文芸が本質しているところの、普遍の本体上の精神、即ち「
詩的精神」を指していることである。そこでこの問題を解決するため、あらゆる一般の場合について、人々が普通に考えている詩的精神、即ち
所謂「詩的」の何事たるかを調べてみよう。もし多数の場合について、それが観念されてる例証を見、すべてに共通する本質を取ってみれば、意外に造作なく、吾人は詩の定義に到達することができるであろう。但しこの場合に於ては、一方に
詩的精神の反対のもの、即ち世人の言う「*
散文的のもの」について、おなじ思考を対照して行かねばならない。
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