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 もっと外の例をあげてみよう。飛行機に乗って太平洋を横断したり、或は文明を過去に逆行して、古風な駕籠かごに乗って旅行したりするのは詩的であるが、普通の汽車に乗って平凡な旅行をするのは散文的だ。恋愛や、戦争や、犠牲的行為やは詩的であって、結婚や、所帯暮しや、単調な日常生活やはプロゼックだ。すべてに於て、歴史の古い過去のものは詩的であるが、現代的の事物はプロゼックだ。人間も正義や革命やを考えてる時は詩的であるが、借金の言いわけを考えてる時はプロゼックだ。そして一般に、神話的のものほど詩的であって、科学的に実証されたものほどプロゼックだ。
 以上吾人は、できるだけ多くの場合について、一般に思惟される「詩的のもの」と「プロゼックのもの」とを対照して来た。だが前にも言った通り、こうした感じ方は人々によってちがうので、甲の人が詩的と感ずるもの、必ずしも乙の人にとっての詩的でない。反対に一方の人が詩と考えるところのものが、一方の人の散文であったりするかも知れない。畢竟ひっきょう上例したところのものは、仮りに大多数者の一致を見て、世間的通解によったにすぎないのである。故に吾人の地位を換えて、特殊な個人的の立場で見れば、もちろん一般の通解と異なるところの、別の詩的やプロゼックが有り得るだろう。次に吾人は、この特殊な場合を調べてみよう。
 前の例に於て、通見は奈良や京都を詩的と言い、伊太利のヴェニスを「詩の都」と言う。けれども奈良や京都に住んでる人が、果して自分の住んでる町を、真に詩的と感じているだろうか。同じ別の例を言えば、欧米人は常に東洋を「詩の国」と言い、特に日本をドリームランドのように考えてる。けだし彼等にとっては、我々の鳥居や、仏寺や、キモノや、ゲイシャや、紙の家やが、すべて夢幻的な詩を感じさせるからである。だが我々の日本人に取ってみれば、キモノや紙の家や足駄ほど、世界に於てプロゼックな事物はないのだ。我々にとってみれば、逆に欧羅巴ヨーロッパの方がずっと詩的である。ゆえに伊太利ヴェニスの芸術家等は、ゴンドラを焼打ちして水市を破壊し、自動車と飛行機の爆音で充填じゅうてんされた、幾何学的コンクリートの近代都市を造れと言ってる。けだし彼等にとってみれば、あのかび臭い古都の空気ほど、没趣味で散文的なものは宇宙にないのだ。
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