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     第十四章 詩と小説


 吾人ごじんが文学と称するものの中には、詩、*評論(章尾の註参照)、随筆、エッセイ、戯曲、小説等の種類がある。しかしこれ等の中、文学の両極を代表する形式は、詩と小説との二つであり、他はその中間的のものにすぎない。実に詩と小説とは、文学における南極と北極、即ち主観主義と客観主義との両極を、判然として対照している。吾人は特に、この関係について述べねばならない。
 前に他の章(芸術に於ける詩の概観)で説いたように、おおむねの小説は、本質に於て主観的な詩的精神に情操している。ゆえにこの限りで見るならば、小説もまた詩と同じく、広義に主観的な芸術と言わねばならない。けれどもこの場合の主観性は、創作の背後に於ける態度であって、事実に面した観照の態度ではない。観照の態度としては、ほとんど小説の約束された形において、すべての作品がことごとく皆客観的である。実に小説の小説たる所以ゆえんのものは、この観照に於ける客観性と言うことに存するのだ。(もし小説が客観的でなかったら、それは詩――散文詩――になってしまう。)
 詩と小説とはこの点に於て実に判然たる区別を持っている。詩は本質上に主観的の文学であり、単に態度の上のみでなく、観照それ自体が主観的である。即ち詩にあっては、対象が対象として観察されず、主観の気分や情緒によって、感情としてながめられる。反対に小説では、これが主観から切り離され、純に知的な眼で観察される。故に同じ恋愛等を題材としても、詩ではこれが感情によって歌い出され、小説では事件や心理の経過として、外部の観察によって描出される。故にまたこの点から、一般に詩は「感情のもの」と言われ、小説は「知的のもの」と考えられている。
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