かく考えれば詩人と小説家との一致点は、人生観に於ける本質の「詩」だけであって、芸術家としての態度に於ては、全然素質のちがうことが解るであろう。小説の立場は、人生の真実をレアリスチックに見ようとするのであるから、すくなくとも観照上では、主観的なセンチメントを一切排斥せねばならぬ。この点で自然主義は、小説の正に小説すべき典型の規範を教えている。
小説が小説たるためには、観照の形式上で、詩から遠く離れるほど好いのである。小説にして詩であるものは、一種の「
生ぬるい文学」にすぎないだろう。しかも精神に於て見れば、真の小説には詩的精神の高調したものが無ければならない。つまり言えば、*
科学が人生に於ての詩の逆説である如く、小説は文学に於ける詩の逆説である。かの自然主義の主張が、小説を「科学の如く」と言い、そして一切の詩的なものに挑戦した
所以がここにある。実に自然主義の文学論は、**逆説によって説かれた小説道の極意である。
* 「人生に於ける詩の概観」参照。
** 日本の文壇が、自然主義の逆説を理解し得ず、これによって本質上の詩を失い、救いがたい堕落に落ちたことを考えてみよ。(「特殊なる日本の文学」章尾の註参照)
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