第五章 生活のための芸術・芸術のための芸術
1
芸術家の
範疇には二つある。
主観的な芸術家と、
客観的な芸術家である。そして前者が常に
観念を追い、人生に対して「意欲する」態度をとるに反し、後者が常に静観を持し、存在に対して「観照する」態度をとるのは、前に既に述べた通りだ。
ところでこの前のもの、即ち主観的な芸術家等は、人生に対して欲情し、より善き生活を夢想するところから、常に「ある所の世界」に不満し、「あるべき所の世界」を
憧憬している。そしてこの「あるべき所の世界」こそ、彼等の芸術に現われた VISION であり、主観に掲げられた
観念である。さればこの種の芸術家等は、何よりも
観念に於て生活し、
観念に於て実現することを望んでいる。彼等が真に願うところは、主観のかくも熱望する夢の中に、彼自身が実に生活し、実に現実することである。即ちイデヤがその生活の目標であり、規範であり、願望される一切の理想であるのだ。そして、
芸術(表現)は、かかるイデヤに対するあこがれであり、勇躍への意志であり、もしくは嘆息であり、祈祷であり、或は絶望の果敢なき慰め――悲しき玩具――であるにすぎない。
故に表現は彼等にとって、真の第一義的な仕事でなく、イデヤの真生活に至る行路の、「
生活のための芸術」である。もし彼等にして希望を達し、その祈祷が
聴かれ、熱情するイデヤの
夢を現実し得たらば、もはや表現は必要がなく、直ちに芸術が捨てられてしまうであろう。(だが
真の芸術家の有する夢想は、イデヤの深奥な実在に触れてるもので、永遠に実現される可能がない故、結局して彼等は終生の芸術家である。)
然るに
客観的の芸術家は、一方でこれと別な態度で、表現の意義を考えている。彼等は主観によって世界を見ずして、対象について観察している。彼等の態度は、世界を自分の方に引きつけるのでなく、
ある所の現実からして、意義と価値とを見ようとする。故に
生活の目的は、彼等にとって価値の認識、即ち真や美の観照である。然るに芸術にあっては、観照がそれ自ら表現である故に、
芸術と生活とは、彼等にとって全く同一義のものになってくる。即ち生活することが芸術であり、芸術することが生活なのだ。芸術は生活以外にあるのでなく、それ自体の中に目的を有している。何とならば生活の目標が、彼等にとっては、
表現(観照)であり、芸術と生活とが、同じ言語の二重反復にすぎないから。
即ち言わば彼等にとって、芸術は正に「
芸術のための芸術」なのだ。
PR