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 吾人はこの種の芸術を、或る種の美術について見るのである。既にしばしば、本書のずっと前から言っている如く、美術は芸術の北極であり客観主義の典型に属している。詩は音楽と共に、この点で美術の対蹠する南極に立たねばならぬ。しかしながら前に他の章(音楽と美術)で言っているように、美術それ自体の部門に於てまた主観派と客観派との対立があり、その主観派に属するもの――ミレーや、ターナアや、ゴーガンや、ゴーホや、ムンヒや、歌麿うたまろや、広重ひろしげや――は、画家と言うよりはむしろ詩人に属している。ゆえに彼等については例外とし、此処では特に、美術中の客観派たる、純粋美術について言うのである。
 実に芸術 Art という言葉は、美術について思う時ほど、真に語感のぴったりとすることはない。特に就中、建築や彫刻の造形美術について考える時、一層それが適切にぴったりとする。なぜならば美術の態度こそ、真に徹底したる観照主義で、正しく「芸術のための芸術」であるからだ。それは一切の主観を排し、真に物について物の真相をレアリスチックに観照する。実に「科学の如く」という言葉は、美術家の態度に於てのみ正当に思惟しいされ得る。詩や小説やの文学は、美術に比すればあまりに人間的臭気が強く、世俗的であり、宗教感や倫理感の感傷主義に走りすぎる。文学はすべて科学的でない
 故に言語の厳正な意味に於て、真に芸術 Art と言わるべきは、世にただ美術あるのみである他はすべて詩 Poem にすぎない。即ち表現には二種あるのみ。いわく、「詩」とそして「美術」である。一切の表現はこの二つの中の何れかに属している。詩でなければ美術、美術でなければ詩である。そして前者ならば芸術生活主義(生活のための芸術)だし、後者ならば芸術至上主義(芸術のための芸術)である。故に芸術の記号たる「美」という言語は、音楽にも詩にもあたえられず、ひとりただ美術にのみ冠されている。美術こそは美の中の美、芸術中の芸術である。
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